吉行和子さん&浜野佐知監督対談

映画『第七官界彷徨ー尾崎翠を探して』新編集版の上映の前に吉行和子さんと浜野監督の対談。

吉行理恵さんのこと

浜野「吉行さん、今日はようこそいらして頂きました」
吉行「吉行和子です」(聴衆に)
浜野「この後、観て頂く『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』で、私は初めて吉行さんと出会ったんですけど、私なんかより、よっぽど昔から尾崎翠を吉行さんは大好きで、出演のお願いをした時も「尾崎翠を映画にする? なんて変人がいるんだろう」って逆に面白がってくれたようなところもあったと思います。まず吉行さんと尾崎翠の関係というか、出会いというか、吉行さんにとって尾崎翠はどういう作家であり、どういう人であるのか、そのあたりをお話いただけませんか」
吉行「尾崎翠さんはずいぶん前から知っていて、というのはうちの妹(注:詩人・芥川賞作家の吉行理恵さん)が物を書いていまして、尾崎翠に出会って、ものすごく打たれたんですね。凄い小説がある、尾崎翠って素晴らしい人がいるんだって事を聞いて、私も読みましたら、ほんとに凄い小説だなって、そんないっぱい小説を読んでいたわけではないんですけど、こんな小説初めて見たって思ったんですね。そしていろいろ読んでましたら、尾崎翠が「第七官界彷徨」を書きあげた時には、座っていた畳がボロボロになってたというエピソードを知り、これぐらいじゃなければ本当の作品って生まれないんだと思って、そこからどんどん尾崎翠にはまってしまいました。そんな時に浜野監督からお話があって、もう本当にびっくりしました。尾崎翠がどんなに喜んでいるだろうって思ったんですね。尾崎翠は映画が好きでしたし、自分の作品が映画になればいいって思いながら、結局かなわなくて亡くなった方でしたから、尾崎翠が知ったらどんなに喜ぶだろうと。それから妹に報告したら、とっても喜んでくれました。私も出演できることで、また尾崎翠の世界に一歩も二歩も入れたような気がして、嬉しかったです」
浜野「ありがとうございます。妹さんとおっしゃっているのは、詩人の吉行理恵さんですね。映画「こほろぎ嬢」の撮影の直前に亡くなられてしまいましたけど」
吉行「そうなんです。尾崎翠さんに感化されたのか、なかなか書けない人で、10年間くらい、どうしても書きたいものがあるけれど、書けない書けないって言いながら死んでいったんですけど、10年前にー。死ぬ前に「こほろぎ嬢」が映画化される、私も出演することが分かって本当に喜んでました。まだ自分が死ぬって知らなくて、私は知ってたんですけど、「じゃ、映画館で観られるわね」って言ったのが最後くらい。残念なんです。妹が、どうしても書けないところがあるって言うので、私が、じゃあ、そこをちょっと飛ばして次に行ったらって言ったら、ものすごく怒られちゃって、「もうお姉さんみたいな無神経な人とは、話がしたくない。邪魔になるから当分話しかけないで」とか言われて怒られてしまったんですけど、いいものを書きたいって言う気持ちはすごくありながら、とうとう実現しなかったんですよ」
浜野「出来上がった映画「こほろぎ嬢」を理恵さんに観てもらいたかったですね」
吉行「やっぱり尾崎翠に出会えたって事は、ものを書いていく上でとっても幸せだったと思うんです。いいもの書きたいって気持が沸いてきたし、こういう人がいたんだったら自分もなんとか近づきたいって思いで、一生を終えたから、やっぱり幸せだったんじゃないかなと思いますね」

岩美町との出会い

浜野「1998年に岩美町に来て頂いた時、私たちスタッフは老人福祉センターで合宿して、地元の皆さんが朝ごはんの炊き出しなど、撮影隊の面倒をみてくれたんですが、吉行さんたち俳優さんは岩井温泉の岩井屋さんと花屋さんと明石家さんの三軒の旅館に分宿して頂きました。私がロケで一番印象深いのが、吉行さんが現場でいつも背筋をしゃんと伸ばして、黙って静かに座ってる姿なんですね。翠役は白石加代子さんですが、その白石さんのマネージャーさんが私のところに来て、「監督、何か知らないけど、吉行さん、怒ってるよー」って(笑)」
吉行「怒ってませんでしたよ(笑)」
浜野「後でお聞きしたら、女の監督が男のスタッフを大声で怒鳴りつけてるのを、面白がって観察されていたとか(笑)。初めての顔合わせの後、吉行さんと白石さんをお誘いして、岩美町のくいものやさんって食堂に夕食に行ったんですよね。そうしたら、お料理を見た吉行さんが「浜野監督、映画はお金がかかるんだから、こんな気は遣わなくていいのよ」「こんなことは今日だけにしてね」って言ってくださったのを、凄くよく覚えてます。次の『こほろぎ嬢』は鳥取全県オールロケで、吉行さんに来て頂いたのは倉吉市でしたが、98年の『尾崎翠を探して』パートは、ほとんど岩美町で撮りました。その時、多分初めてですよね、吉行さん、岩美町にいらしたのは」
吉行「そうですね」
浜野「役者さんは、ロケに来た場所を観察する暇も無いと思うんですけど、岩美町の印象、尾崎翠の生まれたところから考えても、どんな印象を受けました?」
吉行「撮影してる時って、あんまり分からないですね。やってるときはー。だけど、出来上がった映画を観て、あ、こんなに綺麗なところなんだ、って初めて分かるみたいな。今回また何年ぶりかで作品を繰り返し読んで来ましたが、尾崎翠が体調壊して帰ってきた後の後半生も、本当に幸せに過ごせたんだろうな、って納得できるような場所ですよね。空が凄く広いのを久しぶりに思い出して、東京にいると空って全部見えないものですから、あ、ロケの時に広い空を見たって思い出しました」
浜野「本当に綺麗ですよね。私が岩美町に初めて来たときは、とにかく映画が撮りたかったので、なんとか協力を、とかせこい考えで来たんですけど(笑)、それでも、空気の綺麗さに打たれましたね、こんなに空気って違うんだって。それともう一つは、風が、普通風は見えないじゃないですか、せいぜい髪の毛が乱れるとか、木が揺れるとかですけど、風が目に見えて、本当に色もなければ形もない風が目に見えて吹いて行くような気がして、すごいことじゃないかって思いましたね」
吉行「やっぱり何か持ってますね。力があるんじゃないかなと思う。砂丘も凄いですよね。『尾崎翠を探して』の最後のシーンは砂丘の上で、私たちが若返って(笑)、とっても喜々として青春時代を思い出してるシーンで終わるんだけど、あれは素晴らしい。尾崎翠はいろんな苦しい事があったけど、やっぱり幸せな一生を終えたんだなーって、あの場面を観てね、勝手にですけど、思いましたね」

翠映画2作品のラストシーン

浜野「ありがとうございます。実は、あのシーンにはものすごく思い入れがあって、映画の実人生パートは戦中戦後の尾崎翠が生きた時代を描いているわけですけど、あのラストカットだけは現代鳥取と融合したかったんです。あの時代を生きた女性作家たちが、現代鳥取の砂丘に立って、時空を超えて過去と現在が結びつく、翠と今を生きている私たちが巡り合う、というそういう象徴的なカットにしたかったんですが、それをただ砂丘の上で撮っても意味が無いんですよ。やっぱり時空を超えた、宇宙からの目線って言うのが欲しかった。宇宙のどこかで微笑んでいる尾崎翠の目線でラストカットを撮りたかった。それが私の尾崎翠へのリスペクトだったんです。ところがお金がない(笑)。空撮っていうのは、今だったらドローンかなんかを使えばいいんだろうけど、あの頃はヘリを飛ばすしかなくて、なのに鳥取に撮影用のヘリが無くて、四国の高松にしか無いんですよ。ヘリのレンタル料が1分1万円、それも高松のヘリポートを飛び立ってから戻るまでなので、最低で見積もっても80万はかかる。撮影も終盤でお金を使い果たしているし、もうどうしようと思って、最後の最後にカンパの通帳を見たんですね、そうしたらまとまったお金が入っていて、私、もう嬉しくて、本当に救われたような気持ちですぐにヘリコプターを呼んで、あのラストシーンが撮れたんですけど、東京に戻ってから調べたら、そのお金が吉行さんからのカンパだって分かって、もう本当にびっくりして」
吉行「何しろお金が無いっていうのは知ってましたから、ちょっとでも役に立てばと思って。尾崎翠さんに対しても、その映画を作ってくださる浜野佐知監督に対しても、少しでも、と思って。あの時私、今よりもうんと貧乏でしたから、私の出来る範囲で、カンパの振り込み先に入れておいたんです。今、初めて、砂丘の撮影に使ってくださったって知りましたけど、お役に立ててよかったです」
浜野「出演している俳優さんから支援を頂いたなんて初めてで、本当に嬉しかったです。その後、2006年に『こほろぎ嬢』を撮りました。これは尾崎翠の短編「歩行」「こほろぎ嬢」「地下室アントンの一夜」を1本にした映画で、吉行さんには松木夫人の役をお願いしました。私はどうしても吉行さんに出て頂きたかったんですが、先ほどからお話に出ている妹の吉行理恵さんが癌で闘病されていて、吉行さんも、もしかしたら鳥取に行けないかも知れないとおっしゃってた。それが、本当に残念なことに、ちょうどクランクインの1週間位前でしたよね、理恵さんが亡くなられて、吉行さん、鳥取に来てくださったんです。ロケが終わって、東京に戻って編集を始めたんですけど、私、映画の終わりがどうしても気に入らない。ラストは、尾崎翠の登場人物たち全員が宇宙空間に溶け込んでいくようなカットが欲しかったんです。砂丘のラストカットと同じで、宇宙と私たちが生きている現実の、時空を超えた融合のような、それがないと映画『こほろぎ嬢』は終われないって思ってたんですね。でも『こほろぎ嬢』も35mmのフィルムで撮っていたので、CGとかやるのにものすごくお金がかかるんですよ。1秒1万円位かかる。で一度は普通に撮ったんですよ。でも、映画が終わらない。このラストじゃ、絶対尾崎翠に届かないと思って、また悶々としていたんですね。そうしたら、今度は突然吉行さんから書留が届いたんですよ。それで、吉行さんが「理恵は一人ぼっちで一生懸命作品を作っていて、妹だから私が先に死んで、1人取り残されるんじゃないかと思って、一生懸命貯めたお金が、押し入れの片隅に猫の骨壺3つと一緒にあった。このお金を見つけた時に、理恵にとってこのお金をどう使えば一番喜ぶか考えたときに、そうだ『こほろぎ嬢』に使ってもらおう、と思った」っておっしゃってくださったんですよね」
吉行「あれはちょっと額が大きかったですね(笑)。なんか、妹が死んだ悲しさもあるし、これで少しは妹も喜ぶだろうし、私の気持ちもいいし、浜野監督も喜んでくださるかな、と思ってー。監督も猫が大好きなんですよね。うちの妹も猫が好きっていうか、猫しか好きじゃないっていう人生を送ってたもんですから、猫をとても大切にしていて、その猫が本当に不思議ですけど、妹が死ぬちょっと前に、まだ死ぬ時期じゃないにもかかわらず猫が先に死んでくれたんです。私、残されちゃったら大変だって思ってたので、それは有り難かったんですけど、代々の猫が押し入れの中にいたんですね。それも知らなかったんですけど、妹が死んでから片付けていたら出てきて、お金も出てきたから、もうこれは一番いい使い方をしたいと思って、もう喜んで、ここだー、と思って(笑)」
浜野「ありがとうございます。本当に理恵さんからいただいたお金でラストシーンを撮り直し、CGも使って『こほろぎ嬢』が完成したんです。あのラストが出来たことで、私にとって、尾崎翠にも、理恵さんにも届けられる映画になったと思ったものですから、最初は予定に無かったんですけど、映画が全て終わって、「宇宙に、あまねく存在する、すべての、孤独なたましいへ」というテロップとともに、スペシャルサンクスで吉行理恵さんのお名前を入れさせて頂きました」
吉行「『こほろぎ嬢』を試写で観たら、画面が終わるか終わらないうちに、うちの妹の名前が出て、本当にもうびっくりしちゃって、今観たの全部忘れちゃうくらいびっくりしたんですよ。そんな大きい活字でうちの妹の名前が出るっていうのは、ありえないことで、今でも不思議な人だなあって思ってるんですけど、彼女にとっては人生で一番晴れがましい事だったと思うんですね。文学賞なんかも頂いてはいますけど、なんて言うか賞を頂いてもイジイジしちゃうタイプで、私なんかがこんなのを頂いたら何て言われるか分かんないとか、何でもかんでも喜べないタイプだったもんですから、あの映画をもし観たとしたら、初めて嬉しいって言えたんじゃないかと思います。私はすごく感謝してます」

「松下文子」の涙

浜野「観て頂きたかったですね。理恵さんが尾崎翠をお好きでなかったら、もしかしたら吉行さんとの出会いも無かったかもしれないですしね。本当に理恵さんにはお礼を言いたいです。それと、『尾崎翠を探して』に話は戻るんですけど、私、本当に吉行さんの芝居が素晴らしいと思ったのは、西法寺さん、今は新しくなってますけど、翠が生まれた西法寺さんの前を翠役の白石加代子さんと一緒に歩くシーンで、ふっと、何気なく白石さんの肩を抱くんですね、それで、頬を白石さんの方にちょっと寄せて、楽しそうに歩くんですけど、それは私の演出でも何でもなくて、吉行さんが自分でやってくださったお芝居なんです。ああいう発想って、どういうところから出てくるんですか?」
吉行「本当にひとりでになんですけど、この松下文子の役をやるってなった時に、素直に、私の実人生でこんな素直な気持ちになったことはないくらいなんですけど、心から人に寄り添う、尾崎翠が大好きで寄り添いたいっていう気持ちを持ってる文子をやるっていうのが、とても嬉しいっていうのかしら、とても新鮮で、なんの苦労もなく出来たっていう気がします。今おっしゃったそのシーンも、別に台本に書いてあった訳じゃないんですけど、白石さんと2人で歩いていて、翠のセリフを聞きながら歩いているうちに、ひとりでに文子さんとして彼女に寄り添いたくなってしまった。自分でも、どうしてそうなったか分からないような感じなんです。そんなに出番は多くなかったですけど、文子さんをやってる時は本当に全部すごく自然だったような気がするのね。どうやろう、こうやろうなんて考えないで、翠が好き、なんとか翠の力になりたいっていう気持ちだけでやりましたね。こんな気持ちのいい事って、そうそう無いですけど。どちらかというと、こうやろうかみたいに思っちゃうタイプだもんですから、それが全然なくて、やれましたね」
浜野「文子を演じる自然体みたいなのがあったわけですね。それで、翠が亡くなるシーン、文子が山陰本線で駆けつけて翠の病室に入り、新しく出版される「アップルパイの午後」の話をしてる時に、吉行さんの目から涙がホロっとこぼれるんですよね。あの涙を私、現場で見たときに、本当にこの映画を作ってよかったと思ったんです。翠は文子とずっと一緒に暮らしたかっただろうし、文子もそうだっただろうと思うんですけど、やっぱりあの時代ですから、文子も結婚させられて別れて暮らさざるを得なかった。だから、翠の最期に吉行さんが流してくださった涙は、翠への最高のプレゼントだったと、私は思っています」
吉行「そうですか。私は本当はとても泣けないタイプなんですよ。実生活でも本当に泣かない。妹が死んだ時も、母が死んだ時も泣きませんでしたし、どんなに親しい友達が死んでも泣けなくて、みんな泣いてるのにとても困っちゃって、本当に友達だったのかしらって疑われるんじゃないかと困っちゃうくらい涙が出ないタイプなんです。ドラマなんかでも、泣くべき時でもなかなか泣けなくて、周りに白い目で見られたりしてしまうんだけど、あの時はひとりでに出ましたね。自分でもあまり意識してないんですけれど、やっぱりあの時こそ、尾崎翠とうちの妹が重なって、妹はまだその時は全然死んでませんでしたけど、なんか、書きたいものがあったのに書けずに死んでいった尾崎翠っていう人を見た時、ひとりでに涙が出てきましたね」
浜野「吉行さんの中に松下文子って人がちゃんといるんだなあと思って感動しました」
吉行「あのシーンとか、本当にいくつか忘れられないシーンがありますね。翠が好き、翠のために生きてきた文子の役をやるのが嬉しくてやってたからじゃないかなと思うんです」
浜野「監督としては、最高にうれしいことです」

白石加代子さんのこと

吉行「尾崎翠をやった白石さんとの関係もあるんです。白石加代子は、私がずっと新劇の劇団に15年間いて、その劇団をやめて初めて、よその人と芝居をやった早稲田小劇場のトップ女優だったんですね。私は15年間勉強してたにもかかわらず、時代が変わって新しい演劇が出てきた時に、私の芝居は全然通用しないなってことを、ひしひしと感じさせられる舞台でした。手も足も出ない、どうして良いか分からない、演出家はただただ怒りまくってるんで、もう頼りになるのが相手役の白石さんしか居ないっていう状態から、演劇生活を再スタートしたので、白石さんに対するとても熱い気持ちもあったんですね。私は、とても上品な劇団できっちり勉強してきて、突然白石さんの劇団に入ったら、もうまるで違ってた。演出家の鈴木忠志って方が、気に入らないと椅子とかビール瓶とか、ばーっと投げてくるんですよ。私は育ちがいいから(笑)なんてことしてくれるんだ、そんなことされたら余計に出来ない位のきつい気持ちでムッとしたら、私たちは台の上に乗って稽古してたんですけど、白石さんは黙ってその椅子をバーンって足で蹴って下に落として、また稽古が再開出来るように何気なくやっていく。そういう人を見て、すごい役者がいるし、世の中は変わったんだな、演劇も変わったんだな、私はもう一回ここで新しい人たちとやっていくんだなっていう決心をさせてくれた人だったものですから、余計に尾崎翠である白石加代子に対しての気持ちがプラスされたかも知れませんね」
浜野「映画演劇って一口に言いますけど、映画と演劇の世界って全く違うじゃないですか。私、それまで白石加代子さんって役者さんをよく知らなかったんですよ。とにかく尾崎翠のイメージに合った人、顎が張って(笑)生活者としてきちんと自分の人生を生き抜いた意志の強い人、村田さんの言う筋骨のある女優さんを探していたんですけど、なかなか出会えなくて困り果ててた時に、岩波ホールの忘年会で白石さんと偶然会って、私、その瞬間に、あ、ここに尾崎翠がいる!って思ったんですね。でも、白石さんは2年後までスケジュールが詰まっているし、映画は苦手だっておっしゃって最初は断られたんです。でも、私はこの人以外に尾崎翠は出来ないって思い込んじゃって、脚本や原作や尾崎翠に関する資料をいっぱいお渡しして、尾崎翠の親友の松下文子役は吉行和子さんがやってくださるんですって言ったら、「あら、吉行さんがやられるの」っておっしゃって、それで信用してくださったみたいです。本当に白石さんじゃなければ尾崎翠は演じられなかったし、文子が吉行さんでなければ、翠と文子の友情を超えた信頼関係みたいなものは画面に出てこなかったと思いますね」

突然熱風がわーっと沸く

吉行「でも、あの頃から比べたら尾崎翠をみんなが知るようになって、それは嬉しいです。こういう積み重ねが、力になったんですね」
浜野「1998年の5月にロケして、10月に完成しました。すぐに岩美町で先行上映して、場所も同じ、この公民館だったんですけど、その後、鳥取、米子、境港、倉吉と、県内を上映して回りました。ほとんどの人が、尾崎翠を知らなかったと思います。東京での最初の上映が東京国際女性映画祭で、映画祭側も尾崎翠って名前は知られていないから、お客さんが来るかどうか心配だったんですが、蓋を開けてみたら200席くらいの映画館があっという間にソールドアウトになって、急遽追加上映を決める騒ぎになりました。「誰も知らない幻の女性作家」の人生と作品を、女性監督が撮ったことに対する関心も強かったと思います。その時に翠の甥の方をご招待したんですが、観終った後、「わしは翠叔母にあった」と言ってくださって、白石さんは尾崎翠を体現してくれたんだなあと改めて思いました。この映画がきっかけになって、2001年から鳥取で「尾崎翠フォーラム」が始まり、昨年まで15回開催されて、毎年鳥取から発信できた事が、尾崎翠を広める上で大きな力になったと思います。この映画は海外映画祭にも16ヵ所行っていますし、吉行さんにも台湾の映画祭でご一緒頂きましたが、尾崎翠を21世紀に繋げる、という私の夢は叶ったと思います。吉行さんは翠以外の浜野作品にも、全部出てくださっているんですよね」
吉行「やっぱり、はまっちゃうんですよね。最初の時にこんな現場があるのかって驚きが強かったものですから、またお話いただくと、あれ、あれが欲しい、あの気持ちが欲しいっていうふうになっちゃうんですよ。ともかく浜野監督はストレートなんです、言葉も心も、ものすごいストレートで、岩美の静かなところに突然熱風がわーっと沸いたように現場がなるんですよ。その面白さみたいな、なんか巻き込まれていく快感みたいなものが初めあったものですから、また何だかあれが欲しいみたいな感じで浜野監督の作品に出てしまうんですよね。やっぱり自分が作りたいものに向かって、ばーっと突っ走っているのが分かると、私も文子さんじゃないけど、支えにほんのちょっとでもなれれば嬉しいみたいな気持ちにさせられちゃうんですよ。どういうわけか」
浜野「ありがとうございます。本当に嬉しいです」

これからのこと

吉行「やっぱり素敵なのは、尾崎翠の作品が常に新しいって事ですね。これだけ昔の作品が古びずに今でもキラキラしている、それがすごい力です。岩美からこういう人が出たことは誇っていいし、少しでも知られていくのは嬉しいことですし、最初にこれを読んで感動した時の、私と妹だけだった世界が、こうしてどんどん大きくなっていくのが嬉しいですね」
浜野「映画化に乗り出した時は、「第七官界彷徨」も「こほろぎ嬢」もそうですけど、尾崎翠の作品は映画化なんか絶対にできない、映像になるようなものじゃない、って言われて、それはそうですよね、雲や霞や匂いですから。でも、私はできると信じたんです。尾崎翠が表現しようとしたのが、先ほどの村田さんのお話じゃないですけど、日常のリアリズムからかけ離れたものであって、でも、だからこそ、映像でなら表現できると思ったんです。だから、この尾崎翠の2本の映画は、私が生きている限り、自分の宝物として上映し続けて、独りでも多くの尾崎翠を愛する人たちに届けたいし、新しく尾崎翠に出会った人たちに届けたいと思っているんです。『第七官界彷徨―尾崎翠を探して』ができてから18年です。「尾崎翠フォーラム」も昨年15回で閉幕し、今年出版された3冊の「尾崎翠を読む」に凝縮されています。でも、そうしたら今後、尾崎翠をこの鳥取から、岩美から発信していくのは誰なんだと思うんです。もう尾崎翠も全国区になったから良いだろうっていうのではなくて、やっぱり鳥取から、岩美から毎年尾崎翠を発信していく、これは尾崎翠が生まれた岩美町の責任だと思うんですね。今回も、これだけの人が集まってくださっているんですから、これからもぜひとも尾崎翠を宝にして、次なる世代に繋いでいって欲しいと思いますね」
吉行「本当にそうですね」
浜野「そういえば、吉行さんは一人芝居をずっとやってきたじゃないですか」
吉行「MITSUKO、ですね」
浜野「そのお芝居をやめられた時に、吉行さん、私になんて言ったか覚えてますか? 「これでやめるけど、90才まで生きていたら、もう一度やる」っておっしゃったんですよ」
吉行「そうですか」
浜野「その時に私、ぜひやってください。そうしたら、その舞台を追って、90才の吉行さんのMITSUKOを映画として残しますって言ったんです」
吉行「そうでしたか」
浜野「忘れないでください、私の夢なんですから」
吉行「なんか過去を忘れてしまって(笑)」
浜野「ぜひぜひ100才になっても、お芝居を続けて頂きたいと思います。実は私も昨年WOWOWで初めて被写体になって、私をドキュメントした番組があったんです。「吠える! 映画監督浜野佐知」とか凄いタイトルで(笑)。そのナレーションを吉行さんが担当してくださった。そのドキュメンタリーのラストが、この岩美の浦富海岸で、私が海を見てるカットなんですね。その浦富の海と私に向かって、吉行さんの「さあ、浜野監督、次は何を撮りますか?」っていうナレーションで終わるんですけど、私、それを聞いて、あ、ヤバイ、吉行さんに背中押されちゃったって(笑)」
吉行「あれは台本に書いてあったからですよ(笑)。そんな大それたこと言えませんけど、もちろん気持ちを込めて言いました。それが伝わったんですね(笑)」
浜野「はい、私は吉行さんからのメッセージとして受け止めました。私たちが出会い、作り上げてきた尾崎翠が生まれたこの岩美の海で、その言葉を聞いたことが、すごく嬉しかったし、これからも頑張ろうって力をもらいました。ぜひぜひ、これからも吉行さんに出て頂いて、映画を作り続けて行きたいと思います」
吉行「もっともっと作品を作って、元気づけてください」
浜野「はい。頑張ります。本当に今日はどうもありがとうございました」